敗血症

4月23日からたびたび腹痛を訴えるとわちゃん。

採血の結果、微熱も続いているのでS先生が心配し、抗生剤の点滴をすることになりました。合わせてブドウ糖とNa(30%)も入れます。
プレドニンは一日3回から始めていき徐々に減らしていく。
要は抗がん剤治療をストップして熱や体力が回復してから再開ということ。

20:20腹痛→浣腸をしました。6日ぶりにうんちがでました!

21:40 37.2度
21:45 就寝
22:48 37.8度
23:00 再び腹痛…

7:00 腹痛で目覚める、朝食食べず。
9:00 浣腸→うんち出ず

12:00 吐く

ずっとぐずっていて何を聞いても首を横に振るだけ。

20:30 腸を動かす薬を点滴で入れる。
22:00 足が痛いと言い出す。入院前も足が痛いと言っていた。病気と関係あるのだろうか。明日O先生に聞こう。

翌日先生に聞いたらオンコビン(抗がん剤)の副作用ではないかと言われた。末端神経をマヒさせるような副作用らしい。
お腹も痛いのに。副作用まで。なんてことだ…。

腹痛3日目熱がまた上がる。38.69度。
ごはんは全く食べていない。

4日目採決の結果敗血症になっていた。血液にばい菌が入り全身をめぐる。
うんちさえでれば。
CRP11.97。


腹痛から5日目の朝。
8:00 起床 桃の缶詰1/2個食べた。11:30 38.91度 昼食食べない。いったいいつになったら前のようにもりもりご飯をたべてくれるのか…。心配になる。

13:40 浣腸→うんちでたーーーーーーーーーーーー!!!!!!

もうよくなるね!抗がん剤開始できるね!でも副作用心配。熱も。
でもごはん食べれるね。
ところが夕ご飯は口内炎が痛くて食べれず。

21:30 ファインディングニモ見てます。
また救急車が来たようです。

今日同じ病棟に男の子が入ってきたみたい…昨日かな
ご両親らしい二人が不安な顔で後ろをついていった。
私よりずいぶん年上のようだったナー。男の子も小6とか中学生くらいに見えた…。どうしたんだろうね…。おだいじに。

翌日の採血の結果
白血球2000
CRP4


とわちゃん敗血症乗り越えました。

 

重い空気

4月22日

 

口内炎がひどくて何も食べてない。

うんちも4日出ていない。

機嫌も悪くて病室は重苦しい空気。

肝臓が悪いので抗がん剤をストップした。代わりに

飲み薬が増えた。でも1つくらい増えてもとわちゃんはわからないくらいたくさん飲んでる。

 

熱が出てずっと寝ている。。。。

 

肝臓が元気になれば白血球の数値も上がるし、貧血も治る。口内炎もよくなってうんちもでる!!!!

あとすこしだ、あと一週間、それまで熱が出ないように!!!!!

それだけ!!!!!!!

 

 

そういえば家に飾ってるひな人形まだあのままかな。
私が片付けないとダメかな。
まあこは桜と写真撮ったかな。将監の桜は散ったかな。
日曜日にひな人形片付けよう。花がまだ咲いていたら写真を撮りに行こう。
明るいうちに2人をお風呂に入れよう。布団も干そう。子供たちの洋服も出さないと…。冬物がまだタンスにぎっしりだしね…。やることが沢山あってにちようのたった1日では終わらない。連休を利用して衣替えをしよう。
それと動物園にも連れて行こう。

検温37.3

鼻血がでてシーツが汚れたので交換してもらった。

エレース(口内炎の薬)でうがいして夕食。
ほとんどたべず。
スポンジと綿棒でで歯磨きしてイソジンでうがいして

ケナログ塗って

 

寝る。
(ノートまま)

 

 

治療11日目 副作用

4月18日

熱36.68度

とわちゃん、髪の毛がごっそりと抜けた。
驚いてしまった。
とわちゃんには何も言ってません。

輸血終了して夕食。チキンラーメン食べたい!のリクエストに答えたものの…
今度は両ほほに口内炎。
汁物、飲み物しみるので
ジュースはストローで何とか飲めてもラーメンは痛くて無理。残念。

O先生が「口内炎の傷からバイ菌が入り熱が出ることもあるんだよ」って。

泥状の飲み薬にネクターを混ぜて注射器(シリンジ)で飲む。

そして

口をきかず横になりずっとTVを見ている。

 

食べたいのに食べれない、しゃべるのも痛い。

そんなとわちゃんの前で食べることなんて出来ない。

代わってあげたい。

 

CV

これから毎日採血をして血液の状態を記録していくことになりました。
闘病記のノート最終ページに一覧表を作って毎日記入します。

と、いうことは毎日採血の度注射をするということ!!
これは大変!!!!
頑張り屋さんのとわちゃんは「痛い!」などどいいません。
無言でひたすらじっと耐えます。
時に涙がぽろっと・・・(´;ω;`)

先生から提案があり、採血で毎日ストレスを抱えてしまってはかわいそうなので
血管にチューブをいれて胸のあたりから2本チューブを出してそこから採血をすることに。これをCV(シーブイ)というそうです。
早々にこのCVを挿入する手術をしました。チューブが出ているところはばんそうこうで清潔に保ち、2本のチューブの先にはガーゼがくるくる巻かれてこちらも清潔に。
1本は点滴につなぎ、もう1本は採血に。

ぷらぷらしているCVを巾着の中にいれて首から下げる用の巾着を作ってくださいと言われたので、かわいい生地と赤い紐をダイソーからたくさん買ってきて
何枚も作りました。


CVの重さでチューブが抜けないようにチューブをテーピングで肌に止めるのですが、看護師さんがお菓子の缶を持ってきて
「とわちゃん!どれがいいかな???」
と言いながら缶を開けると、そこにはかわいい絵が書かれたたくさんのテーピングが!
ミッキーや、プリキュア、プーさん、くまさん
クオリティーが高いのなんのって。
看護師さんの愛だなあ。これは子供たち喜ぶよね。
とわちゃんはぶっきらぼうに指で(これ)と選び貼ってもらいました。

退屈な入院生活を少しでも楽しくするために必死な私と、看護師さんが病児のこどもたちに対する思いが一致した瞬間でした。

宮城県立こども病院に入院できてよかった。

本当によかった。

CVとの長い付き合いが始まりました。

白血球が300に

入院10日目。

白血球300
ヘモグロビン7.0
血小板56,000
CRP0.11

薬の副作用で白血球が300になったためベットに空気清浄機を設置することに。
しばらくするとゴロゴロと大きな機械が病室にやってきました。
看護師さんは慣れた手つきであっという間に設置完了。
ベットの頭方向から半分くらいまでが透明のビニールのカーテンで覆われた簡易的なクリーンルームのよう。
スイッチを入れると、ゴーと風がでてちょっと寒い。
普段はLOW、外部から人が入ってきたらHIGHにする。


とわちゃんは感染を防ぐため一日のほとんどをカーテンの中で過ごすことになります。ベットの頭の方、風上には何も置かない事。
よって枕の周りにいたぬいぐるみたちはカーテンの外へ。
仕方ない、感染怖いもんね。

寝るとき、出かけるとき、不安な時にいつも握りしめてクンクンとにおいを嗅いでるとわちゃんの安心グッツ、紐の先についてる”ぼんぼり”があるのですが、当然カーテンの中にいれてクンクンとしていると血液腫瘍科の科長I先生(当時)から

「うーん、、、とわちゃん、これは持っていると安心なのかな??」

「・・・・・・。」

とわちゃん、お決まりの無視。

「、...そうですか、ではたまに洗ってくださいね!」

I先生、ありがとうございます!!!
清潔保ちます!!!

とわちゃん副作用で元気がない。おしゃべりもしないし、笑わない。
看護師さんの問いかけに背中を向けたまま小さく、本当に小さく頷く程度。
先生に対しては完全無欠の無視。
それでも看護師さん、先生は全然なんともしないでとわちゃんに話しかけてくれる。

とわちゃんが一番頑張っていると理解してくれている事がありがたいです。

とわちゃん本当によく頑張っています。
同じくらい家族も頑張っています。

真っ暗で出口があるのかもわからないトンネルに入った私たち。
その先に明るい光はまだまだ見えてはこないけど、出口を目指して進み続けるしかない。
不安は考えたらきりがないが、泣いてばかりもいられない。前向きな言葉を口にして不安を忘れよう。


そして、病室では絶対に泣かない。とわちゃんの前では笑顔でいる。

そう決めました。






 

魔法のひろば

宮城県立こども病院
4月7日10時入院


一歩入ると、ここはなんだ?

お菓子のエレベーター、大きなポストの滑り台、絵本やおもちゃ。
たくさんのソファーセットのテーブルの上には知育玩具。
看護師さんはカラフルなユニホーム。保育士さんみたい。

その中で
たくさん診察を待っている子供たち。こんなにもいるんだ病気の子。。。
混んでいるのかな。受付でしばらく待たされた。
主人がイライラして受付の看護師に伝えている。
「まだですか!!10時に来てくれと言われたから来たんです。具合が悪いんです、早くしてください!!」

「とわちゃんですね、はい、こちらへ。」
ちょっと年配の看護師さんがフォローにきて私たちを案内した。

お菓子のエレベーターに乗って2階へ。
血液腫瘍科 222号室

7日と8日に行った検査の結果を9日、カンファレンスルームで説明されました。

以下説明補助資料より抜粋
他の検査を待たないと確定しないが、白血病を疑っている。
腎臓が大きくなっており、腎機能も低下している。血圧も上がっている。
→白血病細胞が腎臓に浸潤しているのではないかと考える。
確定診断を待っていては手遅れになるので見込み診断ではあるが早急に白血病の治療を開始したい。
治る確率は70%~80%。ただしタイプによっては直り易い、難いはある。
特に注意しなければならないこと→腎臓に浸潤しているため、治療開始してからの負担に耐えられるかどうか。透析が必要になるかも?

 

主な検査予定

4月7日木曜日 マルク(骨髄穿刺)、骨髄生検、CT、エコー、心電図
4月8日金曜日 ガリウムシンチ(造影剤)採血、ルンバール
4月11日月曜日 ガリウムシンチ(造影剤)の撮影

 

それに伴い数えきれないほどの説明とサインをした。
内服や点滴も開始されとわちゃんは寝ていることがおおくなった。
検査で麻酔もたくさん使っていつもうつらうつらだった。

 


1階のエントランスは「まほうの広場」というらしい。

こどもたちにまほうをかけて
病気が消えてしまえばいいのにね。



幼稚園には休園の連絡をしました。
現実を伝えるのが辛くて、涙があふれてきました。
同時に
伝えていることが現実なんだと改めて恐怖を感じました。



2005年4月5日火曜日


2日後に幼稚園の入園式を控えて、お祝いもかねていとこ達が遊びに来てくれていました。
夫の両親と同居していて、とわちゃんには3つ上のお姉ちゃんと、3つ下の妹がいます。3姉妹の真ん中。いつも元気いっぱいでよく笑うとわちゃん!!なんだけどその日はなんだか調子が悪くコロコロとこたつで横になってました。
起き上がれず、遊びに来たいとこ達とも遊べず…。
心配したばあばが「ねえママ、とわちゃん病院に連れてったら?」というので、かかりつけの近所の小児科へ行くことにしました。


向かっている車中でもぐったりとして起き上がれない様子。なんとか待合室まで支えながら行きましたが、受付をして戻るとソファーにあおむけで寝てしまいました。その様子にハッとしました。顔が真っ白だったのです。


診察の結果、すぐに大きな病院で検査をするよう紹介されそのまま社会保険病院へ。車中で眠って気分が良くなったとわちゃん。そのなんだかそのまま帰れそう…。でも検査しなきゃね。
MRIでは「とわちゃん、大丈夫ですか???」と技師さんの問いかけに「はぁ~い!!」と元気に返答しながら受けていて、きっと何でもないのよ、先生大げさなんだから!帰りに夕飯の買い物しなきゃ、何にしようかな…なんて軽い気持ちでいました。


検査結果を待っていると、先生が「ご主人も一緒にお話を聞いてほしいのですが、病院に来れますか。」と言われました。


嫌な予感。
ざわざわとした嫌な予感。


主人が到着し、すぐに先生に呼ばれて部屋へ。先生が看護師に「シャットアウト!!」と告げて3人でカーテンの中へ。
「もっと検査をしないと断言できませんが、娘さんはおそらく…」
と言うと、メモ用紙を私たちに見せてきました。そこには


【急性リンパ性白血病】


と書いてありました。
なんだろうこれは。うそ、白血病?とわちゃんが?白血病って何だっけ?
主人がいろいろと質問していた。頭が真っ白で覚えていないけど確かどれくらい入院するんですか?って聞いたら短くても3か月と先生が言った。しかもこのまま即入院してくださいとも。

でも先生、とわちゃん明後日入園式なの。
先生は何にも悪くないけど、急に言われても入院なんて無理!そんなこと言わないで!

残酷にもそのまま検査が続く。その間、明日から治療する病院を決めたり、家族に連絡したり、入院の用意を取りに家に帰ったり。
帰ったらお姉ちゃんがこたつで寝ていました。そこへバタバタと焦る私。「また病院行かなきゃ!」と慌てて言ったら驚いて泣いてまった。お姉ちゃんもとわちゃんと同じで3日後には入学式。ぴかぴかの1年生。
「ごめんねまぁちゃん、とわちゃんが病気になっちゃって入院したんだ。お母さん今夜病院に泊まるね。」

病気は誰も悪くない。仕方ないのかもしれない。
でも病気になると生活が一変する恐怖を知りました。
まだ小さい子供が病気になるなんて。しかも白血病だなんて。
明日からどうすればいいんだろう。

私以上に不安になってるであろうとわちゃんに【めばえ】を買って病室へ。
私の不安をよそにとわちゃんはハイテンション。
2人で付録のプリキュアを黙々と作って消灯後も遊び続けました。
隣のベットには小学4年生くらいの女の子。小さい弟がいるからママは消灯時間になったら帰るんだって。ママが「いつ退院ですか?」と聞くので「明日です。」と答えました。
明日起きたら全部夢だったらいいのにな。

明日から【こども病院】に転院です。

 

 

ご挨拶

闘病記を始めたわけ

闘病記の主人公、とわちゃん、女の子。当時4歳。

私は33歳。

もうかれこれ14年も前になります。

とわちゃんと私、そして家族の闘病記を公表することで今、まさに今、同じ病気で頑張っている方に寄り添えたらとブログを開設することにしました。

それは、自分がそうだったから。
自分がとわちゃんと同じ病気の方の闘病記を読みあさっていたから。
病室のベットの横で夜、とわちゃんが寝た後にガラケーで検索しまくり、いつまでもいつまでもいろんな方の闘病記を読んでいました。
とわちゃんの症状と似ている、この先どうなっていくんだろう、この薬効くのかな、いつ元気になるのかな、いつ退院できるのかな、治るのかな。。。

また、14年前のことを悲しく辛い思い出にするのではなく、一生懸命頑張った記録として残しておきたいと思ったからです。
まだ記憶が鮮明に残っているうちにとわちゃんと家族との素晴らしい時間を覚えておきたいと思ったからです。

今頑張っている病児ちゃんのご家族に届けるには古い情報になってしまうかもしれませんが、14年前、私も一緒だったんだよ、と寄り添わせてください。


不定期の更新になりますが丁寧に記録していこうと思っております。